急だったので、70キロ走ってビジネスホテルを探して一泊した。
朝、目覚めてみると外から防災無線とサイレンの音がずっと鳴り響いている・・。
なにかあったのか?とよく聞いてみると・・
「これは訓練です」と言っている。
このとき、僕は初めて気が付いた!
今日は9月1日、「防災の日」だっ!
このとき僕は知らなかったのだが、この日安達太良山ではトレランのレースが開催されていたのだ。
もし行っていたら、静かな登山はできなかっただろう・・。
選択は間違っていなかった・
計らずして防災の日に震災遺構を巡るとは・・偶然、いや必然なのか?
まずは50キロ走って、「奇跡の一本松」へ。
駐車場が、めっちゃわかりづらかった・・。

工事していて、直近には近づけなかった。
松は枯死したため、幹には金属の心棒を入れ、枝葉は合成樹脂等で複製。1億5000万の費用がかかり、賛否両論とのこと。

すぐ脇のユースホステルは、壊れたままだ。
木は復元して、建物はそのまま。
次は60キロ車を走らせ、南三陸へ。

テレビでよく見た「南三陸さんさん商店街」だ。
続々と人が訪れていた。

ここから「南三陸防災庁舎」を見た。庁舎の付近は工事中で、近づくことができなかった。

防災無線で最後まで呼びかけ続けた方がいたとのこと。
三浦綾子女史の「泥流地帯」で、泥流に自ら飲まれながらも避難を呼びかけた話を思いだしました・・。

30キロ走り、大川小学校へ。たくさんの生徒・職員が犠牲になった場所です。

5月にN13さんが訪れた写真をアップしていた。どれほどの距離感なんだろう、と思っていた。

避難するべきだった裏山は、本当に本当にすぐ近くだった。

宮沢賢治の詩は崩れていました。

天使は泣いているように見えた。
テレビや写真で見るよりも、やはり現地で体感しないとわからない、伝わらないものってありますね。
心にズシンと響きました。津波被害の恐ろしさ、被害の大きさを知りました。
来て良かった・・。声を掛けてもらって、良かった。

すぐ近くの釣石神社にも立ち寄りました。
階段の水色の箇所まで津波は来たそうです・・・。
防災の日だが、どの震災遺構も特に混んでいることはなかった。
訪れた場所はそれぞれが数十キロ離れている。それだけ被害が広範囲だったということですね。
そしてどの震災遺構も、残すか取り壊すか、で被害にあった方々の意見が分かれていることを知った。
僕らの時間も残り少ない。立ち寄れる場所は、あと一か所だ。
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